日本100名城42番・掛川城。「内助の功」で知られる山内一豊が城主として大改修を行い、「東海の名城」と謳われた美しい城です。
日本初の本格木造復元天守「掛川城」
今川氏の遠江支配から始まる掛川城の歴史
掛川城の歴史は、室町時代にまでさかのぼります。駿河の守護大名・今川氏が遠江進出の拠点として、家臣の朝比奈泰煕に命じて築かせたのが始まりとされています。
永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が討たれると今川氏の勢力は急速に衰退。永禄11年(1568年)には、武田信玄に駿府を追われた今川氏真が掛川城に逃げ込みました。徳川家康による半年にわたる攻囲戦の末、氏真は開城。掛川城は徳川氏の支配下に入りました。
山内一豊による大改修と「東海の名城」
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命により山内一豊が掛川城主となります。一豊は「内助の功」の逸話で知られる武将で、戦乱で荒廃した城の大改修と城下町の整備に力を注ぎました。このとき築かれた天守が、「東海の名城」と称された掛川城の姿です。
慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの功により一豊は土佐一国を与えられて高知へ移り、その後は複数の譜代大名が城主を務めました。最終的には太田氏が城主となり、明治維新まで続きました。
嘉永の大地震による倒壊と、日本初の木造復元
嘉永7年(1854年)の安政東海地震(嘉永大地震)により、天守をはじめとする城の大半が倒壊。以後、天守のない状態が140年にわたって続きました。
平成6年(1994年)、市民の熱意と募金により天守が復元。これは日本初の本格木造復元天守として大きな話題となりました。復元にあたっては、山内一豊が後に築いた高知城の天守を参考にし、樹齢300年を超える青森ヒバを用いて、往時の美しさを忠実に再現しています。
全国でも珍しい現存御殿は必見
掛川城のもうひとつの大きな見どころが、二の丸御殿です。江戸時代後期の嘉永7年(1854年)の地震後に再建されたもので、現存する城郭御殿としては全国でも京都・二条城、高知城、川越城と並ぶ貴重な存在です。
国の重要文化財にも指定されており、藩主の政務や生活の場であった空間を実際に歩いて見学することができます。
掛川城の情報
| 【日本100名城】登録番号 | 42 |
|---|---|
| 城名 | 掛川城 |
| 別名 | 雲霧城(くもきりじょう)、松尾城 |
| 区分け | 復元天守 |
| 住所 | 〒436-0079 静岡県掛川市掛川1138-24 |
| 最寄駅 | JR東海道本線・東海道新幹線「掛川駅」北口から徒歩約7分 |
| 観拝料 | 大人410円、小中学生150円 |
| 開館時間 | 9:00〜17:00(最終入場 16:30) |
| 100名城スタンプ設置場所 | 掛川城御殿入口 |
| 日本100名城スタンプ 絵柄 |
|
| 関連サイト | 掛川城 |






